小学校とは違う野球〜中学軟式クラブチーム編〜

俺は無事中学校入学を果たした。そして野球中心の中学生活が同時にスタートした。このチームの入部の決め手は他にもあった。まずは練習場所だ。練習グラウンドはなんと自分の中学校のグラウンドなのだ。野球部が無いのが功を奏したのか使い勝手の融通が効く中学のグラウンドになった。当時の自宅から中学校までは徒歩でも5分〜10分くらいと非常に近いところに住んでいた。そのためハードな練習に備えて睡眠時間が確保出来るのは大きかったのだ。遠い人では自転車で1時間近く掛けて来る人もいたためその点は恵まれていたと思う。後は小学校の時対戦していた相手チームがみんな上手い人ばかりでそいつらがチームメートになるんだと思うと3年生になる頃には強いチームになれるんじゃないか。その中で揉まれれば自分もレベルアップ出来るのではと思ったからだ。

そしてクラブチームの練習が本格的に始まった。予想はしていたがその予想をはるかに上回るハードな練習だった。最初は走り込みと徹底した体幹トレーニングをやった記憶しかないほど身体作りに充てられた。練習時間も当然だが小学校の時に比べて長くなった。土日祝日が練習日で朝8時〜夕方17時までびっちり練習。自分はその中でもかなり下手な方だったのでついていくだけで精一杯だった。当然5月から練習試合とか入ってきたが試合に出れるはずもなく応援に回っていた。チーム自体もオール1年生ってこともありなかなか勝てなかった。ポジションは小学校の時同様ライトまたはレフトを守っていた。夏に差し掛かるであろう時に監督から急遽内野手転向を命じられる。しかも内野でも難しいポジションのショートだ。

中学進学に向けて

小学校も卒業が近付き今後野球を続けるかを考えていた。普通なら中学に上がって野球を続けるという選択肢があるのだが、実は進学予定の中学校に野球部が無かったのだ。ましてやシニアリーグなどの硬式野球チームは自分にはレベルが高過ぎてやれる自信は無かった。この段階では野球を諦めてバトミントン部に所属しようと考えていた。

野球を辞めて中学校進学に向けて色々準備してきたその時、練馬区の大泉学園地域の中学生を対象に軟式野球のクラブチームが出来るという話が上がったのだ。少年野球のチームメートや同じリーグを戦った他チームの人が集まるとのことだ。3月中に練習会が開催されるとのことなので参加してみることに。

いざ体験練習に行ったが周りのレベルの高さに度肝を抜かれた。これから中学に上がる同い年しかいないのにみんな動きが機敏なのだ。キャッチボール一つ取っても違う。ボールの勢いや回転とか比べ物にならない。本当にここでやっていけるのか不安になった。だが小学校から一緒にやってきた仲間が続々と入部を決めると聞き自分も恐る恐るだが入部を決めた。

自分という人間を客観的に見てみた

私は現在北海道で教員として働いています。何故教員という道を選んだかは3つあります。1つは運動や健康についてを高校生や大学生に追及してもらいたいこと。2つは学生時代の大半を野球競技に捧げてきた自身の経験を野球をする高校生、大学生に少しでも発信していきたい。そして3つ目に大卒という自分の学歴を考えるとそれに見合った職に就きたいこと。この3つの内容を以下の文で説明していく。

まずは自己紹介と経歴を紹介します。1988年 北海道札幌市で生まれ今年で28歳になります。小学校3年生まで札幌で過ごし、4年生から中学校1年生まで父親の仕事の都合で東京で生活しておりました。中学2年生から再び札幌に戻りそこからはずっと大学卒業まで札幌で生活していました。大学卒業後は苫小牧市の企業に就職し、軟式野球をプレーしておりました。2年後札幌に戻り市内の企業で営業の仕事を2年、後に大学の教員として今年から働いています。

私と野球

野球との出会いは小学校5年生の時。グローブは持っていてキャッチボールをたまにした事ある程度だった。プロ野球中継も当時はジャイアンツ戦ばかり。巨人の選手の名前はだいたい知っていた。そして元々は野球をやっていた父親の勧めで練習を見学しに行き、気付いたら見学当日に入部届を書いていた。そこから土日休みが無い野球生活が始まった。

野球人生の始まり

元々水泳をやっていて体力には自信があったつもりだったがそんな自信も一瞬で蹴散らされる。水泳と違う筋肉を使う野球に慣れるまで時間が掛かる。最初はアップすらまともに出来ず、練習に入る頃にはバテバテだった。しかも東京の春先は25度を越えるから尚キツイ。当時は積極的に水分補給も出来るような文化も無く午前の休憩時間に1回ガブ飲みするような感じだった。キャッチボールではボールの握り方から教わりながら試行錯誤の上確実に相手の胸元に投げるという事を教わった。軸足をぶらさず踏み出す足をしっかり相手に向けることで相手が取れる場所にボールはいく。今でも忘れない指導だ。これは今日現在の指導でも言わせて頂いている。そしてノックを受ける時はしっかり腰を落とす。確実に捕球してから投げる。これはかなり言われた。そして自分はよくノックを受けてる時にボールを足にぶつけて蹴っていた。よく「サッカーやってんじゃねーんだぞ」と怒られたものだ。自分の試合デビューは5年生中心で行われる新人戦だった。