新チーム発足

3年生が引退したその日毎年打ち上げをする事になっている。学校の近くの焼肉食べ放題のお店で3年生と2年生が参加する。

そこで3年生に今までの労いや監督から引退する選手に1人一言貰うのが恒例だ。

ところで自分を含みベンチ入りの2年生6人いたがそのうちの1人の桜庭の家に呼ばれた。そして家に行ったら新聞紙と椅子が置いてある。そう、自分らは頭を丸めるというのだ。先頭に立ってきた2年生が気合を入れて引っ張っていくという意思表示だ。

桜庭の家で頭を丸めた2年生6人はそのまま打ち上げ会場に来るとみんなから笑いの嵐や関心の表情など様々な反応だった。

そして俺たちはそのまま新チーム発足となる。キャプテンは前チームでレフトを守っていた酒井になった。自分たちは秋の新人戦に向けて練習をスタートした。

このチームは前チームからのスタメンが2人残りベンチ入りメンバーはほとんど試合に出てない。3年生中心のチームだったため明らかな実戦不足が弱点だ。そのため毎週土日は練習試合をたくさん組んだ。夏休みも毎日練習試合にする方針だとか。

自分はセカンドのレギュラー獲得へ向けて練習していた。神田さんからは守備用の手袋を頂いた。監督からは前チームからの実績は白紙、全員が同じスタートラインだと言われていた。

そして早速新チーム発足後初の練習試合を迎えた。自分は2番セカンドでスタメンを勝ち取った。バントとゴロ打ちなど細かな事が求められる。足を生かすためゴロ打ちからの内野安打を狙うものの紙一重でアウトになった。新チーム初の練習試合は辛うじて買ったものの個々に課題が残る結果となった。

迎えた全市大会

全市大会が開幕した。札幌市の代表権を競い全道大会を狙っていく。この大会で準優勝以上が全道大会へ。ベスト4は3位決定戦を行い残り1枠を争うのだ。

初戦は厚別区の信濃中学校だ。昨年秋の新人戦で札幌市でベスト4の実力校だ。

先発はエースナンバーの折橋さん。カーブとチェンジアップを操る技巧派だ。内と外の真っ直ぐでカウントを取りつつカーブでタイミングをずらして打ち取るのが特徴だ。山田さんと違い派手さは無いがコントロールが良いため監督はエースナンバーを託したと思われる。

だが序盤から折橋さんの投球の調子が上がらない。変化球が高めに浮いて捉えられている。2回までに3失点と後手に回っている。うちも2点を取って追い上げているが相手の打線の勢いが止まらない。折原さんのチェンジアップが完全に狙われ5回途中までに6失点。

そのままライトのポジョションに移り山田さんがマウンドへそのまま火消しに成功。その裏ゴンさんがスリーベースを打ち5番の脇田さんがツーベースと徐々に相手投手も打ち込んで来ている。だがその裏山田さんもフォアボールからランナーを出してタイムリーを打たれてしまった。結局6-7で初戦敗退となってしまった。

まさかここで終わるとは思わず先輩方は泣きじゃくっていた。そしてこの瞬間、3年生は引退となる。

自分はゴンさんや神田さんに御礼の挨拶をした。ゴンさんからはお前がベンチに入った意味わかってるよな、次のチーム頼むぞと。神田さんからは俺の後のセカンドはお前にやって欲しいと言葉を頂いた。

転入とはいえ、途中入部となった自分に優しく接してくれたりたくさんアドバイスをくれた3年生には本当に感謝したい。ちなみに山田さんと神田さんは今でも付き合いがある。山田さんは今高校で野球の指導をされてる関係から同じ教育の仕事としても繋がりがあるのだ。その他3年生と野球ができた事は感謝したい。

全市大会に向けて

無事地区予選を突破し、山田さんとゴンさんは評価を上げ山田さんは特待の話まで来ていたという。

自分が1番良くしてもらっている先輩がセカンドを守る神田さんだ。家も近所という事もあってよく一緒に帰ったり、夜近くの公園での素振りに誘って頂いたりと大変お世話になった。神田さんはどっちかと言えばプレースタイルは自分に似てると思う。俊足だけど打撃があまり得意では無い。ゴロなどで内野安打を取るタイプだ。守備は確実にアウトを取りミスもほとんどない。

山田さんとかゴンさんみたいに高校から推薦の話とか来ているわけではないが既に高校野球を見据えて練習もしていたという。

全市大会を控えたある日の夜、練習後一緒に帰宅している時に神田さんは高校の話になった。自分はまだ2年生だしどこに行きたいかとか決まっていないしましてや強豪の私立高校なんて恐れ多く興味もなかった。

神田さんはというと公立の強豪校を狙ってるいた。中でも札幌国際情報高校は札幌市内の公立校でも屈指の強豪で監督が元日本ハムでプレーした有倉先生は有名な方だった。そこに挑戦してみたいと話してくれた。だが札幌国際情報は学力レベルも高く成績もオール4近く無いと入れないくらいの高校だった。公立なのでスポーツ推薦制度もなく勉強実力で合格を勝ち取る必要がある。

神田さんは野球部の中でも頭はいい方だ。要領も良くそれがプレーに現れている。国際情報も射程圏内だとか。だからこそ自分も尊敬していたしこの人から色々伝授頂きたいこともあった。

いつの日か決めていたショートのレギュラーという目標が神田さんの後のセカンドを継ぎたいという目標に変わっていた事もあった。

その日の夜飯後神田さんから携帯に連絡を頂き素振りに誘って貰い公園に向かった。その公園は神田さんの家の前で親御さんとしても何かあればすぐ対応出来るので安心して夜練習をさせれたという。

神田さんは左打ちだ。中学に上がるタイミングで自分の足を生かすために左打ちに変えたという。その時はこの公園で左で素振り最低300回は振ったという。多い時で1000回振って親に止められたという。そのくらい努力出来る才能の持ち主でもある。これが後に自分の野球人生も変えることになる。

中体連メンバー発表

7月の中体連に向けてメンバー発表の日になった。3年生にとってはどの背番号になるかが気になる。下級生にとってはメンバーに入ってるか、このメンバーに入ってるかどうかで新チームでの立ち位置も変わってくるので非常に重要だ。

うちのチームは投手は右の二枚看板だ。身体は決して大きく無いが多彩な変化球と精密なコントロールを持つエースピッチャーとストレートのキレが抜群の速球派ピッチャーが二番手だ。この2人に大きな差は無い。どちらかと言えばダブルエース体制だ。

打線はキャプテンでキャッチャーの通常ゴンと呼ばれてた先輩が4番で中心打者だ。ゴンさんは寡黙な方で練習でも厳しい言葉を監督以上に飛ばす。自分も良く怒られていたがその言葉一つ一つに重みや思いが伝わった。1番センターの斎藤さんはチーム1の俊足で春季大会では3打席連続スリーベースも放った。

そんな先輩方と一緒にやりたいと思い練習に食らいついてきた。

20番まで発表となり21番以降は下級生だ。予想通りピッチャーの2人とショートの控え、左の強打者はベンチ入りを勝ち取った。そして最後の25番を自分が呼ばれたのだ。内野のバックアップメンバーとして選ばれたのだ。

転校して来て早々にメンバー入りは自分でも申し訳ないかなとは思ったが監督の方針の全員に打席や試合出場を与えた結果だから異論を唱えるものはいなかったと思う。

中学野球部の練習について

野球部の練習についてだが、朝練は基本自由参加で先輩方はほとんど出てきている。自分も家から学校が近い事もあり、朝練は毎日では無いが極力参加した。午後練習は授業終わり後だいたい16時からスタートする。監督は基本的に最初のアップはいないが職員室から見ている事もあり気は抜けない。

グラウンドは野球部、サッカー部、陸上部と共用でバッティング練習ともなるとサッカー部の方に良く飛んで行った。そこで外野のさらに後ろサッカー部練習スペース付近にボールボーイが配置されていた。それが1年生の役目だ。今は安全性の面から野球部とサッカー部のグラウンド割り当てにして練習が2日に1回になってるとか。当時は野球部もサッカー部もほとんど休みが無かった。

練習内容はアップ、キャッチボール、トスバッティング、3箇所フリーバッティング、ノックというシンプルな流れ。監督が来ない日は選手でノックを打つこともある。そして最後の1時間程度で実践練習をやる。ケースバッティングやケースノック。ここでいかに考えさせるのだ。このケースはこのプレーをする。時には選手同士でサインを出させて攻め方を考えさせる。

練習だけで言えばハードなものはなくどちらかと言うと考えさせる練習が多い。良くミスをしたりすると説明を求められた。曖昧な答えを出すと練習から外されたり走らされたりもした。

だいたい練習は19時前に終わる。学校の方針でその後の自主練習などはやらない。19時には帰らないといけないからだ。

土日は基本試合。練習試合でダブルヘッダー組んだりする事もしょっちゅうだ。基本的に実践を多く積ませるのが監督の方針で全員にチャンスを与えて貰える。

だが1個上の3年生が20人くらいいて中体連前ということもあり3年生に実践のチャンスを与えていた。その中で結果を残した者を使っていく。みんな平等にチャンスを与えているから不満も出ない。

これは後に大阪桐蔭高校も取り入れてる戦法だ。元はプロ野球の2軍選手に課してる内容でもある。

自分も時々練習試合で途中出場だが使ってもらった。守備もショートだけでなく、サードやセカンドも守らせて頂き、打席もなるべくゴロ打ちや高いバウンドを意識した。打撃が苦手な自分だが内野安打やポテンヒットなど泥臭いヒットが出るようになりチャンスはどんどん増えていった。

新しい中学校での挑戦

中学2年生より札幌市内の中学校に転入となり。新しい生活が始まった。驚いたのはその生徒数だ。東京の中学校は3クラスだったがこの中学校は9クラスあり1学年330人ほどだ。

人数が多いこともありいる生徒も多種多様だ。頭の良い真面目な生徒やいわゆる不良と呼ばれる生徒、不良なんだけど勉強がやたら出来るような奴もいた。だがこの学年は割りかし平和な方に思えた。

2年3組に転入した自分は生徒も仲良く先生も温厚な若い男の先生だった。すぐクラスにも馴染めたような気がした。

そしてすぐさま野球部に入部する。この中学校の野球部は札幌市内でも強豪と呼ばれるチームで軟式野球ながら札幌市内はもとより地方の強豪高校にもスポーツ推薦で進学する生徒もいるほどだ。昨年は春季大会で北海道でベスト8、夏の中体連で札幌市準優勝、全道大会ベスト4と好成績を納めている。ちなみに監督の先生は自分のクラスの副担任でもあり、かなり怖い。

野球部には独特なルールがあった。まず野球部に関わる先生、そして先発に会ったら大きな声で「ちわーっ!」と挨拶をすること。これがこちらが気付かずにスルーしてしまうこともあるのだがそんなのお構いなし。挨拶を忘れてたらその日の練習が大変な事になる。怒鳴られるならまだしもノックのボールが飛んで来ないとかバッティングの順番が回ってこないなど無言で練習から外れろと言わんばかりの制裁を受けることもある。最初は人がいっぱいいたり女子が見てる前で大きな声で挨拶するのは気が引けたが徐々に慣れていった。

あと服装の乱れを見つかっても大変なことになる。シャツ出し、明らかなネクタイの緩み、腰パンなど見つかったらその場で胸ぐらを掴まれて「今日の練習は来んでいい」と言われる。それでも来た日には怒鳴り散らされグラウンドから追い出される始末。これが部活での野球なのかと色々思い知らされる。

自分はここでやるに当たって決めてた事がある。やるからにはショートのレギュラーを取りに行く。今までレギュラー争いというものに消極的で棚ぼたで使われていた事も多々あったが前のクラブチームで揉まれた経験から少しは自信が付いてきた。そして自分の長所は何なのかを考えていた。短所はたくさん出て来るが長所については考えた事が無かったのだ。そして出た結論が足だった。

自分は足が比較的速い方だった。中学校2年生ながら100Mを13秒を切るタイムで走っていた。この足を生かすには何をすべきかを考えた。そう、ゴロ打ちの練習を徹底した。三振からは基本何も生まれない。当たれば何かが生まれる。フライでも落ちる可能性がある、ゴロはイレギュラーやお手玉、エラーの確率も高い。ゴロはあらゆる事が想定される事から入部してすぐゴロを打つ練習をした。

だが周りの先輩方は上手い人ばかりだ。ショートのレギュラーの先輩は動きも軽やかで基本エラーは無い。派手さは無いが打球を確実に処理する職人タイプだ。バッティングも3番打者で打率も3割5分を越えるアベレージヒッターだ。2番手ショートが自分の同級生で実質この男が新チームのショートストップと言われており、肩が強く打球反応も素晴らしい。この人たちと争うのかと考えたら自信も失いかけた。だが決めた以上は割って入っていかないといけんと自分に言い聞かせた。

夏の大会に向けて〜地獄の強化練習〜

中学に入りショートのポジションを与えて頂いた時から自主練習もしっかりやるようになった。平日に集まる事は基本的に無いのでそこで一気に追いつこうと思い自主練で周囲にとの差を縮めて活躍する事を目指して。

クラスメートとかとも遊んだけど同じ中学の野球のチームメートとも遊んだその時はやる事はもっぱら野球だったような気がした。やはり野球が好きだったのかな〜って。

そんな時夏の合宿の話が出た。てっきりどこか田舎に行って自然豊かな練習場でびっちりやるのかと思いきや、初年度なので予算の関係上ホームグラウンドで強化練習というかたちになった。内容は夏のとある三連休だったと思う。3日間朝6時〜夕方18時までの12時間練習なのだ。しかも6時練習開始なので5時半にはグラウンドに来て練習の準備をしないといけないのだ。野球人生初の強化練習だったが始まるまではびびっていたに違いない。

強化練習は確かにキツかった。けど、自分がレベルアップしたのも実感していた。

内野手転向

監督は何の意図があって自分をショートに回したのか?それは20年経った今でもわかっていない。だが、ここから自分の内野手としてのスタートとなる。外野と違い縦横の細かい動きがあるし、連携プレーが多いので内野同士の声掛けも重要になる。そしてセカンドランナーがいる場合ピッチャーにも牽制サインを出すなどコミニュケーションが非常に重要になるポジションだ。

内野手に転向してからとにかくゴロ捕球を反復した。腰を低く構えてスタートの第一歩が鍵となる。スローイングはとにかく悪送球になってもいいから思いっきり投げろと言われた。

ショートというポジションは肩も強くないといけないポジションだ。時にはサードの後ろからの遠投が見せ場とも言えるポジションだ。そして自分は当時肩は弱かったのだ。身体も細くバッティングも相変わらず軟弱だったから余計にコンバートの意図が謎だった。

だがショートにコンバートしてから徐々に試合で使って貰えるようになった。先発出場は無いが途中出場でショートに入ったり、時にはサードに入ったりと内野手経験を積ませてもらった。ミスもたくさんした。自分のエラーでサヨナラ負けをした悔しい経験もした。